高取焼 永満時窯



高取焼発祥の地である鷹取山の麓、直方市永満寺に先代筑山が開窯して以来、三十余年。 古高取・遠州高取の伝統を守りながらも、単なる伝承に留まらず、独自の釉薬、新たな技法や意匠の創造を意識しながら、日々作陶に励んでいます。

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作品4 作品5 作品6


豊臣秀吉は大変茶道が好きでした。そのため家来の大名たちも茶道を熱心に励みました。そのころ秀吉は朝鮮に兵を進めました。その時、出兵した大名たちは自分たちや、秀吉に献上する茶器を作らせるために、それぞれが朝鮮の陶器作りの名人を連れて帰り領内に窯(かま)を築かせて焼かせました。豊前の細川は上野焼、筑前の黒田は高取焼などが始まったのです。  慶長五年筑前国領主黒田長政は、高麗国の八山父子を古城山鷹取山の麓、永満寺宅間に窯を築かせて、この地方にある陶土及び薬石と朝鮮の土薬を取り寄せて陶器を作成させたのが、井土陶器ともいわれ、高取焼と称されたのであります。のちに慶長十九年永満寺より東方二キロに当る内ケ磯という所に陶所を移しました。これが高取焼の創始であります。




高取焼 永満寺窯
清 水 筑 山

TEL 0949-22−2279
住 所 福岡県直方市永満寺2045−1
高取焼 永満寺窯



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直方工芸めぐり